歌人リレー企画「つがの木」〜学生短歌会編〜第7回 長谷川麟さん

こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。

歌人リレー企画「つがの木」の学生短歌会編、第7回は長谷川麟さんをお迎えします。

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こんにちは、岡山大学短歌会、塔短歌会、ura所属の長谷川麟です。

1995年生まれの岡山生まれ岡山育ちです。歌歴は今年で3年目です。

工学部で安全に関する心理について勉強しています。

夏までに痩せて、最後の夏休みをエンジョイしたいです。

 

 

自選5首

 

行きしなは特には思わなかったけど遠くにあってよかったね うみ

(「to remain」 岡大短歌6)

 

長生きをする生き物と検索し、一番安いやつを飼いたい

(「しかくいひかり」2017年 大森静佳さんのワークショップ『メランジェ』より)

 

アルティメット大好き級の恋だからグラップラー刃牙全巻売った

(「オーバーフェンス」 岡大短歌6)

 

りっちゃんがまた髪色をあざやかにしていた雪の降る月曜日

(塔 2019年3月号)

 

花冷えの意味は知らんし、私たちするどく光っていたね あの頃

(~飛騨・神岡短歌コンクール~ 女神へ贈るラブレター)

 

 

 

 

僕が今回紹介するのは、立命館大学短歌会の草間凡平くんです。

 

長谷川が選ぶ草間凡平くんの5首

 

 

晴れた日にレンゲの蜜を吸いながら安易に好きとか言っておくれよ

(「新しい本棚」 立命短歌 第4号)

 

結局は誰も好きではないのだろうゆめの湖畔にサルビアの群れ

 

かすみ草 滅びるならばそうならばどうしてそんなにきれいな鎖骨

(「バードストライク」 立命短歌 第6号)

 

しこうていし、って言葉のにあう全休の金曜きみとふたりでねむる

(~飛騨・神岡短歌コンクール~ 女神へ贈るラブレター)

 

リフレインのなかにrainの息づかい文明すべてがみずうみになる

(「pluvo tago」 立命短歌 第5号)

 

 

 

 

晴れた日にレンゲの蜜を吸いながら安易に好きとか言っておくれよ

 

 

「好き」なんて言葉自体、僕自身、何年聞いていないか分かんないんですけど、やっぱり意中の人から好きという言葉を聞けることって、とても幸せなことですよね。

 

この歌における「好き」という言葉は、はたして自分に向けられた言葉なのか、それともレンゲの蜜に向けられた言葉なのか、ここがいまいちはっきりとしません。さらに、ここで重要なポイントとしておさえておきたいのが、この「好き」は主体が、意中の相手に対して晴れた日に安易に言ってほしいという願望であるという点です。

 

つまりはこれ、ちょっとした妄想なんですよね。(笑)

 

仮に妄想の世界なんだったら、はっきり自分に向けて「好き」って言ってるような場面を想定すればいいし、「好きとか」じゃなくて、「好き」っていってもらえばいいのにと思ってしまうんですけど、ここに主体のキャラクターの良さが出ていると僕は思っています。

 

細かい場面の設定をしておきながらも、あくまで自分の身の丈を越えるような妄想じゃない。しかも、「晴れの日にレンゲの蜜を吸う」という詩的な景への飛ばし具合。このバランス感覚がとても優れていて、へなちょこな主体なんだけど憎めなくて、短歌としての精度も非常に高いと感じます。

 

 

結局は誰も好きではないのだろうゆめの湖畔にサルビアの群れ

 

 

自分に自信が持てない主体。ここでもそんなへなちょこな主体が顔を出します。また詩的な景への飛躍はこの歌にも見られるポイントです。

 

「結局は誰も好きではない」と考えるのは、誰かのことを好きかもしれないという認識があるからであって、主体は他人に興味を持っていない人間ではないように感じます。自身の感情を恋愛感情と認知することは、ある意味、傷付くリスクを負うことでもあるわけで、はじめっから誰のことも好きではないだろうと決めてしまえば傷付くことはないわけです。でも、これって男として若干情けないような気がします。(笑)

 

そんなへなちょこなことを言いながらも、下の句にかけて「ゆめの湖畔にサルビアの群れ」と詩的な景を持ってくることで、上手く上の句のへなちょこ具合を相殺している秀逸な一首だと感じました。もし、この歌の上の句と下の句の間に一字空けがあったなら、

 

結局は誰も好きではないのだろう ゆめの湖畔にサルビアの群れ

 

上の句の主張が強くなりすぎてバランスが取れない一首になってしまう。ここを詰めている点もへなちょこをへなちょこと思わせない、自然な流れで詩的な世界に読者を運んでいく上手さがあると感じます。

 

 

しこうていし、って言葉のにあう全休の金曜きみとふたりでねむる

 

 

凡平くんの歌には相聞歌が多く見られる割に、肉体感覚に深く踏み込んだ作品が少ないのも、特徴のひとつと言えるのかな。だからこそ、歌が重たくなくてすっと入っていきやすい。なんて言うんだろう、もう評でもなんでもないんだけど、言葉が無理をしてなくて、すごく好きな歌が多いです。

 

しこうていし、って言葉の似合う人のことをなんとなく想像することができるし、僕自信もそういう人が好きなんだと思う。そういう恋人とねむる金曜日。ただゆったりとしたいためだけに作る全休の金曜日、、、良い。

 

抽象化のレベルが読者を置いてけぼりにしていなくて、上述のへなちょこ感と詩的な雰囲気のマッチングの話と少し繋がってくる部分ではあると思うんですが、分からなさと分かりやすさのバランス感覚がいいんだと思う。

 

この「全休の金曜」というのは、主体がそうなのか、きみがそうなのか、ふたりともなのか、はっきりはしないけれど、個人的には片方だけであってほしい。そっちのほうが「しこうていし、」感つよくてより魅力的だと思う。

 

 

リフレインのなかにrainの息づかい文明すべてがみずうみになる

 

 

この歌もリフレインという言葉のなかにrainという響きがあるという発見を、下の句の詩的な世界観へと自然に運んでゆく構成になっている。「息づかい」というフレーズもとても魅力的でこの一首を見事に支えている。

 

学生歌人といういうものが、今までどのように取り上げられてきたのか知らないけれど、大学短歌会に所属している歌人を取り上げる以上、短歌会についても少なからず触れておく必要があると思う。

 

立短がどのように活動しているのか、ほとんど知らないけれど、岡短と比較して日常詠とか家族詠とか、やや少ないように感じた。その反面、詩としての完成度が高く、自分たちの生活の外側に思いを馳せた歌が多く見られる印象だった。夜、水、宇宙、時には時空を超えたモチーフや、また兵器や死などのモチーフを好んで詠んでいるように感じる。どこかダークな雰囲気があって、扱いの難しい単語を上手く一首のなかに取り入れている歌が目立つように感じました。

 

歌の話に戻るがこの歌は、そういった環境で日々短歌に取り組んでいるからこそ、生まれる一首であるような気がする。少なくとも、自分の周りでこういう詩的な歌の展開を見ることは滅多にない。今回、この企画に取り組む中で、凡平くんの高校の頃の作品も読ませてもらったけれど、やはり大学短歌会での影響が凡平くんの作品に少なからず影響をもたらしているんだろうと感じた。また機会があれば立短の歌会にも参加して、いろいろ勉強させてもらいたい。反対にぜひ岡山にも遊びにきてもらえたらといいなと思う!

 

 

 

長々と書いてしまいましたが、お粗末な内容を失礼しました。

凡平くんの今後の活動を、陰ながら今後も応援しています。

 

最後に、今回の企画を通してもっと他大学の機関紙をしっかり読まねば!という気持ちと共に、もっと学生歌会間の交流も盛んにできたらいいなと思いました。

 

学生歌会同士が今後さらにつながりを増して、切磋琢磨し合えるような環境が増えてゆくことを願っています。もし岡山まで来てくださる方がいらっしゃいましたら、岡山大学短歌会としては大歓迎ですので、ぜひとも遊びにきてください!よろしくお願いします!

 

長谷川麟

 

 

 

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ありがとうございました。

更新予定

6月19日(水) 学生短歌会編 草間凡平さん

6月26日(水) ネット歌人編 瀬口真司さん

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