歌人リレー企画「つがの木」〜学生短歌会編〜第11回 岩瀬花恵さん

こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。

歌人リレー企画「つがの木」の学生短歌会編第11回です。いつもご覧いただきありがとうございます。今回は岩瀬花恵さんをお迎えします。

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こんにちは。初めまして。東北大学短歌会の岩瀬花恵と申します。

1998年生まれ、岩手県盛岡市出身、宮城県仙台市在住。東北大学文学部の三年生です。大学に入ってから短歌を始めたので、歌歴は2年半ほどです。

短歌の友達がたくさんほしいです、よろしくお願いします。

(twitter:@__ikgsr)

 

 

自選5首

 

言葉は泡 水族館は陽だまりの反対みたいな色をしている

 

(「アパートに帰る」『東北大短歌 第4号』)

 

なるべく賢い獣の名前で呼び合えば日々はただ木漏れ日の仕草で

 

もう君の望むことしか言えないよ灰皿に落ちる無数の蛍

 

(「木漏れ日」『東北大短歌 第5号』)

 

しりとりの速度で街は暮れてゆく一人で生きていけぬ喜び

 

世界のための私のためにスーツ屋はスーツしか置いてなくてありがとう

 

(第4回大学短歌バトル)

 

 

わたしが今回ご紹介するのは獏短歌会の乾遥香さんです。

彼女の活躍ぶりはみなさんご存じでしょうから、私がご紹介するまでもないかとは思いますが、でもやはり全力で彼女を推しているので書きたい!と思い御指名させていただきました。

 

岩瀬が選ぶ乾遥香の5首

 

早足に駅へと向かうもう靴がきつくならない大人になって

 

(「ちはやぶるきみがいるから」『ぬばたま 創刊号』)

 

わたしからわたしが飛ばされないようにきつめに留めておくイヤリング

 

しばらくはきみにわたしを使いたい恋人つなぎは祈りのかたち

 

(「水やりと傘」『ぬばたま 第二号』)

 

昼の鳩 たとえ行くなと言われればどこにも行かないのに 夜の鳩

 

泣きながらわたしは無料じゃないことを有料でもないことを泣きながら

 

(「Iris」『ぬばたま 第三号』)

 

 

一首目。

大人になったなあ、と自覚する瞬間は何度でも訪れます。充足感に満ちるときもあれば、少女や少年であった自分が失われていくような切なさを伴うときもある。その切り取り方として、足のサイズがもう変化しないという気づきがとても面白いと思いました。

親と靴を買いに行って、それまでのサイズでは合わずに大きいものを買って帰る。当時はなんでもなかったことが、大人になった現在、質量をもった記憶として訪れること。

それでも主体は早足で駅に向かっている。どこへ行くのか、誰に会うのか、一首としても完成されていますが連作の中でとても機能する一首だと思いました。

 

二首目。

身支度をするとき、その後に何があるかによって気合の入り方が変わりますよね。化粧やアクセサリーをする人ならなおさら。

この歌の主体は、どこか不安を抱えながらも戦いに行く人なのでしょう。会ってしまったら自分を失ってしまうようなことがある。それを「わたしからわたしが飛ばされ」る、という表現で伝えているのがとても響きました。

そういうときに自分を自分足らしめてくれるもの、目に見えてかたちを持っているものとして主体はイヤリングを着ける。アクセサリーには覚悟や決意が伴っているのだと気づかせてくれる一首です。

 

三首目。

交際をすること、あるいは、手をつなぐような(しかも恋人つなぎの)関係になること。その状態を「きみにわたしを使」う、と表現していることが美しい。求めるのではなく、捧げるような気持で相手と向かい合っているのがこの表現ですぐに伝わります。

「しばらくは」という永遠性の否定や「使いたい」という願望のかたちであることがさらに引き立て、恋人つなぎを「祈りのかたち」という。主体の想いが信仰の域に達していて、そしてその祈りには「きみ」も加担している。

人と人とのつながりをここまで神聖に、しかしカジュアルに表したこの歌はすごいと思いました。

 

四首目。

これはもう言葉で説明する必要がありますか?というくらいにやられてしまった歌です。

「たとえ行くなと言われればどこにも行かない」。けれど相手はそう言ってはくれず、また、主体からもここにいたいとは言えない。相手との途方もない距離がこの一言に詰まっています。

「昼の鳩」と「夜の鳩」は同じ場所にいたとしてそれぞれ別の鳩であるのに、我々は”鳩”としか認識しない。相手も、会うたびに変化する主体を同じ人として扱う。日々を共有できない寂しさ、やるせなさがとても刺さりました。

 

五首目。

自分を値踏みされ、軽んじられること。「わたしは無料じゃない」ということは感じることが多く共感しやすい言葉ですが、そこへ「有料でもない」と畳みかけられはっとしました。

使われるために、買われるためにわたしは存在しているのではない。わたしは、わたしは。どう言葉を尽くしても伝わらないことを、主体は必死に、「泣きながら」思っている。

この歌自体が本当に泣いているような真摯さを伴っています。

 

 

 

乾さんの短歌は、譲らない短歌だと思っています。

 

ぜったいに自分の言葉や感性で表現することを譲らない。でも、読んでいるあなたたちにわかってもらうことも譲らない。戦っている短歌です。

自分の表現を優先して読者を突き放すとか、わかりやすさを優先して自分の言葉を切り崩すとか、どちらかに傾いてしまえば楽な時もあるし、思い得ない高評価を受けることだってある。

でも乾さんはぜったいに譲らないんです。

相手の目を、たとえ自分が泣いていようとキッと見つめて、そこへまっすぐに歌を運ぼうとする。

彼女の短歌に向ける言葉やまなざしは尊い。素敵な人です。

 

今回はこのような機会をくださりありがとうございました。

書いていてとても楽しかったです。

 

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ありがとうございました。

更新予定

8月7日(水) ネット歌人編 やじこさん

8月14日(水) 学生短歌会編 乾遥香さん

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