歌人リレー企画「つがの木」〜学生短歌会編〜第10回 神野優菜さん
こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。
歌人リレー企画「つがの木」の学生短歌会編は第10回を迎えることができました。いつもご覧いただきありがとうございます。今回は神野優菜さんをお迎えします。
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自己紹介
こんにちは、九大短歌会の神野優菜(こうのゆうな)と申します。
1999年生まれのしし座です。標準語気味な博多っ子です。夏の雨と夜ふかしと甘いものが好きです。
高校時代の歌をまとめた個人誌『千紫万紅』や、ネットプリント『雨と柑橘』を発行したことがあります。普段はきゅうたんの歌会や、福岡歌会(仮)、ふと歌会などで短歌を楽しんでいます。たくさんの方にたくさん支えていただいています。短歌の、大切なものを大切にできるところが好きです。よろしくお願いします。
Twitter:@yuiha_tanka
自選5首
そばかすは天使のキスだと諭されて君の背中に翼を探す
(「天使のキス」/『千紫万紅』)
海の見える通学路だよ 綺麗ねって話しかけたいあなたのいない
(「ペパーミント」/『九大短歌』号外)
手をふられふり返すことのさびしさの街灯がいま灯ったような
(「風にほどけて」/『雨と柑橘』)
夕凪の水平線のいつだっていつまでだって見ていたい肩
(「三匹」/『雨と柑橘』)
間に合うかなって言って走り出した背中を雨が薄めていった
(「細雨」/『九大短歌』第九号)
私が紹介するのは、東北大学短歌会の岩瀬花恵さんです。
神野が選ぶ岩瀬花恵の5首
言葉は泡 水族館は陽だまりの反対みたいな色をしている
殴られることもないまま大人になる振り向きそびれた日は雨だった
(「アパートに帰る」/『東北大短歌』第4号)
ひさかたの虹と誰かが呟けば誰もが虹を求める瞳
(第4回大学短歌バトル2018 題「枕詞」)
箱の中に箱がまたあり日曜の水族館は詩のための箱
(「木漏れ日」/『東北大短歌』第5号)
はぐれないような言葉を選ぶとき君が集めてやまぬ木漏れ日
(第5回大学短歌バトル2019 予選/『短歌』2019年2月号)
岩瀬さんの歌を読むと、いま見えている景色をふいに切り替えさせられるような感覚があります。「させられる」と言うと強い言い方になってしまうけれど、それだけ岩瀬さんの歌の言葉選びには力があるのだと思います。その力の一瞬に、心を打たれるのです。
言葉は泡 水族館は陽だまりの反対みたいな色をしている
一首目は水族館の歌。水族館は海の中にいるような幻想的な薄暗さや静けさを持っている、というのは多くの人が抱くイメージだと思うのですが、それを陽だまりの反対みたいな色だと言う主体は、他の人にはないまなざしを持っているのではないでしょうか。水族館、陽だまり、とつづくととても穏やかなイメージの連鎖になると思うのですが、そこで「陽だまりの反対」という言い方をされることでどきっとさせられます。また、「言葉は泡」という初句はなんとも美しい言い切りだと思います。水中の泡が地上を目指してゆらゆらと昇って行くように、言葉は、言葉という形にすることで自分のもとから離れていってしまうものでもあるなあ、なんてことを私は考えました。そしていつかぱちんと割れてしまうものかも知れないし、また何度でも無限につくり出すことのできるものかも知れないと思います。こんな風にたくさん深読みをしたくなってしまうのも、きっとこの歌の魅力ですね。
殴られることもないまま大人になる振り向きそびれた日は雨だった
殴られることというのは、単純に誰かに暴力を向けられることかも知れないし、何かしら大きな衝撃を受けることの暗喩かも知れません。けれど、主体の日々はそうやって大きく揺れ動くことはなく、ただただ過ぎていってしまいます。振り向きそびれることなく、ちゃんと振り向けていたら、もしかしたら「殴られる」ことがあったのかも知れない。私はこの歌の「振り向き“そびれた”」という言葉選びの細やかさが好きで、この「そびれた」から読み取れる主体の心の機微は、人としてとても愛おしいもののように感じました。結句が「雨だった」であることで、最終的には一首のなかで描かれていた動作や心情や回顧が、雨によって視覚的にも聴覚的にもかき消されていくような感覚がありました。
ひさかたの虹と誰かが呟けば誰もが虹を求める瞳
「ひさかたの」は天空に関わる語に掛かる枕詞で、特に意味はないとされているけれど、「ひさかたの虹」と言われると、どうしてこんなにも心を惹かれてしまうのでしょう。さらに、この歌の魅力はそこにとどまらず、「虹を求める瞳」とつづきます。「求める」という言葉に含まれうる切実さや、瞳へと帰着するその華麗さに私は心を奪われました。この歌を締めくくる「瞳」の体言止めには、うっすらと水分を纏うきらめきとともに、「ひさかたの虹」を求めているがゆえのまなざしの力があると思います。「ひさかたの」という枕詞や、虹や、瞳といった歌の中の語彙の、ひとつひとつの魅力が最大限に引き出された一首だと思います。
箱の中に箱がまたあり日曜の水族館は詩のための箱
細かい話になってしまうのですが、「また箱があり」ではなく「箱がまたあり」の語順だったところが個人的にはとても好きで、こちらの方が歌を読むときに自然と「また」に力がこもると思うのです。「日曜の水族館は詩のための箱」とは、こちらもまたなんと美しい言い切りでしょうか。日曜の水族館はさまざまな人によって賑わっていると思うのですが、その一人一人がそれぞれに水槽に詩を見出しているように感じました。水族館の神秘的な水槽は一つ一つが詩で、その集まりである水族館全体もやはり詩で、そして、水族館を訪れる人の数だけそこにはさらに詩が生まれていくのだな、なんて思います。これは蛇足なのですが、一首目に挙げた水族館の歌とこちらの水族館の歌は、『東北大短歌』の第4号と第5号の連作のそれぞれの一首目で、どちらもはじまりが水族館の歌なのはとてもすてきだなあと思ってしまいました。
はぐれないような言葉を選ぶとき君が集めてやまぬ木漏れ日
こんなにもやさしい木漏れ日の光を感じた歌は初めてだなあと思いました。木漏れ日を集めるというのは抽象的な動作だと思うのですが、やはり何とも魅力的で、はぐれないような言葉を選ぼうとする心の真摯さにもつながるように感じます。「集めて“やまぬ”」の手抜かりのなさがすごく好きで、この「やまぬ」のたった三文字の持つ言葉の力に私は一瞬で心を奪われました。「はぐれないような言葉」というのも「木漏れ日を集めてやまない」というのも具体的ではなくてぼんやりしているけれど、それこそがこの歌にやわらかな空気感をもたらしているのではないかと思います。とてもとても好きな歌です。
岩瀬さんの歌には、「心を打たれる」という感覚がぴったりな気がします。それは岩瀬さんが歌に描く景色や、その景色を描くための言葉選びの細やかさ、そこに込められた心向きの強さに由来するものではないかと思います。ガラスの破片のようにときに鋭利で、美しく透きとおり、そしてたくさんの光を吸い込んだりはね返したりしながら、読者へと真心を届けてくれている、なんて思います。
ありがとうございました。
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ありがとうございました。
更新予定
7月24日(水) ネット歌人編 はだしさん
7月31日(水) 学生短歌会編 岩瀬花恵さん
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