『さんばしvol.1』相互評 [評]石井大成さん [作品]川上まなみさん

こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。

 

さんばしによる同人誌『さんばし vol.1』の発行日、11月24日がついに明日になりました!

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目次はこちらです。豪華なゲストにご注目ください。なんと80ページにもなってしまいました…!

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ゲスト同士の相互評を公開していきます。

今回は石井大成さんに、川上まなみさんの一首を評していただきました。

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姉の眠りのなかを溢れてきた木々の枝がわたしにまで触れてきて

/川上まなみ「海まで」『さんばしvol.1』

冴えていることが、こんなにも寂しいと思う。おそらく近くで眠っている姉の息遣いや気配、みたいなものが「木々」となって生い茂り、主体に触れてくるのでしょう。そう認識する主体の意識はとても冴えていると思います。同じ空間に、眠る意識と覚める意識が共存していること、がこの歌の前提にある、ことがとても寂しい。

基本的に(少なくとも僕はそうなのですが)、一人でいると思考は深いところに行く。感受性が自分の内側に向く、感覚。そういう状況と作歌は相性が良くて、自分との対話がうまくいくと一首の密度が濃くなるような気がします。

クラシックバレエを辞めた足先の体の前の陽に触れたがる

/  同  「春を理由に」『岡大短歌5』

なんてことない足先の動きが日溜まりに触れるように感受される、みたいな世界とのかかわり方。川上さんの歌の中にはそういう「冴え」が、凛とした佇まいで存在していると思います。

 ここに別の意識が介入する、つまり状況が他者との対話になると、途端に意識がややこしくなる。当たり前と言えば当たり前なのですが。静物よりも動物のほうが絵にかくのが難しいと思いますし。ところが掲出歌は、他者がいるのに自分と対話してる、みたいな状況にあります。自分だけ眠っている、とか、そもそもの夜という状況とか、そういう寂しさの要因はたくさんある。ただ主体に意識の「冴え」がその寂しさに拍車をかけているのは間違いないと思います。木々は姉から伸びているように描かれている。しかし姉の気配を木になぞらえたのは主体自身で、とらえ方によっては主体の冴えが姉の存在、その輪郭に干渉している、ようにも見える。きっと夜は長いでしょう。寂しいなあ。

 

石井大成

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『さんばし vol.1』は2019年11月24日の文学フリマ東京(公式サイト)にて発行されます。

その後通販も開始予定です。

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