歌人リレー企画「つがの木」〜ネット歌人編〜第11回 笹川諒さん

こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。

 

歌人リレー企画「つがの木」ネット歌人編です。11回目の今回は笹川諒さんにご寄稿いただきました。

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自己紹介

こんにちは、笹川諒です。短歌人会所属、ネットプリント『MITASASA』を発行しています。『MITASASA』は、僕と三田三郎さん(歌集『もうちょっと生きる』)がだいたい月に一回のペースで発行しているネプリで、毎回ゲストの方もお招きしながら、楽しく活動しています。配信時にはTwitterやブログでお知らせしますので、お読みいただけますと幸いです!

 

Twitterアカウント:https://twitter.com/ryosasa_river

ブログ:http://ryo-sasa.hatenablog.com/

 

自選5首

たとえば夜が生徒のように慎ましく麦茶を飲んでいる いや僕が

(「手に花を持てば喝采」『ネプリ・トライアングル(シーズン3)』第1回)

天国に自転車はあると言い張っていたらわずかに夜のサイレン

(「天馬、あるいは」『MITASASA』第1号)

知恵の輪を解いているその指先に生まれては消えてゆく即興詩

(「青いコップ」『MITASASA』第2号)

誰かを枯らす 自ら進んで枯れてゆく そうしないよう二回祈った

(「半分はせかいの涙」『MITASASA』第3号)

物語はいつも大きく目に見えず喪服といえば喪服の少女

(「曼荼羅の詩」『MITASASA』第5号)

 

僕がご紹介するのは、ネットプリント『ウゾームゾーム』で活動されている、瀬口真司さんです。自分がネプリを作り始めてから、他の人のネプリもよく読むようになったのですが、その中でこの人の短歌すごいな……と思った中の一人が瀬口さんです。上手く言えませんが、爽やかさの中に、過ぎてゆく一瞬一瞬をもう既に懐かしんでいるような独自の視点が垣間見える、素敵な作品を書かれています。

 

笹川が選ぶ瀬口真司さんの5首

ライムミントいまは涼しくなればいい君は君から生まれていない

関係は続く(※千円借りている)いつも眩しい他人の尿意

ガムを燃やして遊ぶみたいな夕方がある二十代 きらり風騒

(以上、「きらり風騒」『ウゾームゾーム』vol.1より)

恥ずかしいことが明るい大人なのにピースがさっき覚えたみたい

ソー・ヤング ふざけずに話したことのあるようなないようなジョイフル

(以上、「パチ」『ウゾームゾーム』vol.2より)

 

ライムミントいまは涼しくなればいい君は君から生まれていない

 

「君は君から生まれていない」は、深いことを言っているようでありながら、あまりに当然のことすぎて、むしろ口から出まかせを言っているように思える。そのノリはとりあえず今すぐ涼しくさえなれば……というヤケクソな感じから生じたもので、さらに、求めている涼しさの象徴でありながらも、どこかフェイク感のあるライムミントとも結びついている、という面白い構造になっている。初句「ライムミント」が印象的。

 

関係は続く(※千円借りている)いつも眩しい他人の尿意

 

主体とここで登場する「他人」(おそらく友人だろう)は、千円を借りているという具体的な事実によってしか、二人の関係性を客観的に証明できる術はない。けれども、ここでの主体と「他人」は、実際のところはかなり親しい友人関係にあるような気がする。「いつも眩しい他人の尿意」はたぶん、一緒に遊んだり飲んだりしている時に、「ちょっとトイレ……」とその友人が切り出す時の言い方とかクセとかを主体は知っていて、その時の感じから二人の間の信頼関係とか仲の良さみたいなものが、主体にはぼんやりと読み取れる。だから、主体にとっては、「いつも眩しい他人の尿意」なのだ。

 

ガムを燃やして遊ぶみたいな夕方がある二十代 きらり風騒

 

僕はガムを燃やして遊んだという経験はないけれど、小学生の子どもとかがやりそうな遊びで、ノスタルジーを感じる。そんな気分の二十代の夕方に、「きらり風騒」。「風騒」の意味を調べると、「詩文を作ること。また、詩文を味わい楽しむこと。」だそうだ。とはいえ、「風騒」の辞書的な意味はここではそれほど重要ではないような気がする。「きらり風騒」は、朝ドラのタイトルなんかを彷彿とさせる、短歌ではなかなか使うのが難しい、いかにも感のあるフレーズだ。作者はそれを逆手にとって、このフレーズが読み手に与える印象を効果的に利用しているのではないだろうか。他の人から見たらちょっとダサかったり幼く見えるかもしれないけれど、当人(たち)にとっては昔ガムを燃やして遊んだ時のようなワクワクする夕方を、主体は謳歌しているに違いない。

 

恥ずかしいことが明るい大人なのにピースがさっき覚えたみたい

 

「ピースがさっき覚えたみたい」のエモさに、心をわしづかみにされる。この歌と割と近い時期に同じくネプリで読んだ歌に、<LiveDAMかJOYSOUNDかを選ぶときこっちを見るからもうって思う>(石井大成「See off」『空箱』vol.2より)という歌があって、この「こっちを見るからもうって思う」とセットで、「ピースがさっき覚えたみたい」が強く印象に残ったのを覚えている。この二つのフレーズは意味も発想ももちろん異なるけれど、きわめて会話体に近い口語を用いて新鮮でインパクトのあるポエジーを立ち上げていくという、手法的な部分では共通しているように思う。一首の評という観点からは離れてしまったが、この二首のような印象に残る歌を最近のネプリでは色々と読むことができ、ネプリという媒体からますます目が離せなくなっているような気がする。

 

ソー・ヤング ふざけずに話したことのあるようなないようなジョイフル

 

主体にとって、青春時代(高校生くらい?)の思い出の象徴としてのジョイフル。友人たちとドリンクバーを頼んだりして、長々とふざけ合っていたことを思い出している。いつもふざけてばかりだったけれど、そういえば真剣な話もしたような気もして、でも、何の話をしたかは思い出せない。ひょっとしたら、自分じゃなくて、他の友達から「ジョイフルで真剣な話をした」という話を聞いただけだったかもしれない……。誰にでもある「ソー・ヤング」な時代に特有の、仲間うちの連帯感が伝わってくる。色々と読み手の想像を膨らませる、「あるようなないような」がすごく良い。

 

以上です。評を書きながら、好きな短歌のどこがどう良いのかを上手く説明するのは難しいなと、改めて思いました……。ではでは、瀬口真司さんの他の作品もぜひ読んでみて下さい!

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ありがとうございました。

更新予定

6月5日(水) 学生短歌会編 長谷川麟さん

6月26日(水) ネット歌人編 瀬口真司さん

ネット歌人編は4週後になります。

変更の可能性がありますので、最新情報はTwitter@sanbashi_tankaをご確認ください。

 

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