歌人リレー企画「つがの木」〜ネット歌人編〜第7回 ナタカさん

こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。

 

さて、今回は歌人リレー企画「つがの木」ネット歌人編第7回です。ナタカさんにご寄稿いただきました。

 

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自己紹介

こんにちは、ナタカです。

2013年からインターネットを中心に活動しています。結社には所属せず、不定期でネットプリントを配信したり、ときどき短歌連作サークル『あみもの』や短歌なzine『うたつかい』に短歌を投稿したりしています。

昨年『ドラマ』という私家版の歌集を作りました。 以下で購入可能です。

・葉ね文庫(大阪・中崎町hanebunko.com

・がたんごとん(北海道・札幌)gatan-goton-shop.com

・通販サイトbooth utanataka.booth.pm/items/890168

 

自選5首

 

お客様さま起きてください終点です 晴れた夜ですまだこの世です

(うたの日 題「です」)

あぽすとろふぃ、えす 僕はもうこれ以上だれのものにもならないからな

(『ドラマ』Ⅴ)

あじさいは骨まで青い まだ誰も見たことがないあじさいの骨

(『ドラマ』Ⅶ) 

ひばりひばり あまり早くに来てはだめ 冬とは深い崖なのだから

(『ドラマ」ⅩⅠ)

夢で桶屋をひらいていたよ風が吹くたびにうれしいうれしい桶屋  

ツイッター

 

私が紹介するのは、未来短歌会に所属されているしま・しましまさんです。毎月、同じく未来短歌会の雀來豆さんと短歌のネットプリント『とらぬたぬきうどんでおなかをふくらます唯一の方法』を発行されています。

2019年2月には私家版の歌集『しあわせな迷子』を発行されました(現在は購入受付が終了しています)。

 

私の選ぶ、しま・しましまさんの5首

ハーゲンダッツ買って行くから またこわいわるい二匹のうさぎになろう

(うたの日 お題『悪』 )

きみのスナフキンで涙を拭きました。すみません、鼻もかみました。

(『私家版 しあわせな迷子』)

はる風になるまでふつうの犬だった 枯野にころがりまわるなどして

(『私家版 しあわせな迷子』)

HEY SIRI サバンナのきりんが膝をつきまた立ち上がるところを見せて

(『私家版 しあわせな迷子』

昨日からの雨つよい雨よわい雨 ジミー・ウェールズそろそろ寄付は集まったかい

(『私家版 しあわせな迷子』)

 

しまさんの歌には、童話や童謡のようなやさしさがあります。どこか懐かしような、切ないような、けれどその切なさは胸を締め付けるような種類のものではなく、たとえば幼いころに大好きだったぬいぐるみの匂いのような、やさしい気持ちになる切なさです。

 

ハーゲンダッツ買って行くから またこわいわるい二匹のうさぎになろう

 (うたの日 お題『悪』 )

「こわいわるい」はひらがなだから、本当に凶悪なうさぎになるわけではない。相手を励ますためなのか労うためなのか、それともなんにも理由はないのか、なんにせよ生きていくためにはときにハーゲンダッツが必要なのだ。こわいなー、わるだなー。

うさぎは寂しいと死ぬという。二匹のうさぎという言葉に、寂しさを埋め合うような二人を思った。二人でわるいことをするのは、一人でわるいことをするときとはまた違った背徳感がある。共犯者と秘密を分け合うという背徳感である。「また」だから、今までもこうして一緒にやってきた二人なのだろう。そして、これからもそうだと良い。

 

きみのスナフキンで涙を拭きました。すみません、鼻もかみました。

(『私家版 しあわせな迷子』)

句またがりが心地良い。「スナフキン」の音が布巾に似ているからと言って、何かを拭いて良いわけではない。しかも他人のスナフキンであるし、鼻もかんでいるし、事後報告であるし。なんだかめちゃくちゃだけれど、これはきみもスナフキンもそんな行為を(そしてそんなことをしてしまうちょっとだめでカッコ悪い自分を)許してくれるだろうという主体の甘えのような、信頼のようなものが表れていて、ああ、良い関係、優しい世界だなあと思う。涙を拭いたと言ったあとで、「実は鼻も……」と白状するのも素直でかわいらしい。こんなことを言われたら、許してしまうではないか

 

はる風になるまでふつうの犬だった 枯野にころがりまわるなどして

(『私家版 しあわせな迷子』)

「ふつうの犬だった」が良いと思う。今はもうふつうの犬ではないけれど、かたちを変えてどこかでまだ犬であるような、はる風としてときどき来てくれるような、そんな気持ちがする。この人は犬と一緒に来た枯野を見るたびに、もうころがりまわることのない犬のことを考えてしまうだろうけれど、ふつうの(でもこの人にとっては唯一無二の)犬は、はる風となってこの人と共にあるのだ。亡くなった生き物が風になるという発想自体は有名な楽曲にもあるように珍しいものではないけれど、先に書いた「ふつうの犬だった」という表現や、下の句で元気な頃の姿がイメージできることから、じんわりと優しい気持ちになれる歌だと思う。この歌を読むと、いつも鼻の奥がつんとする。

 

 HEY SIRI サバンナのきりんが膝をつきまた立ち上がるところを見せて

(『私家版 しあわせな迷子』

しまさんの歌には字余りがしばしば使われていて、ゆるやかで柔らかい印象を受ける。 字余りでもたつく上の句から、きちんと定型に収まっている下の句へ。それはまるで、このきりん(うまれたての仔きりんだろうか)がよろめいたあとすっくと立つさまのようである。動物園ではなく、立ち上がれるか否かが生死に直結するサバンナが舞台であることも、この歌の魅力を引き立たせている。

膝をついた野生動物が立ち上がろうとするとき、そこにあるのは生命の脆さと強さ、生きようとする本能(あるいは意思)、そして希望だと思う。この動画をSIRIに求める主体もまた、膝をつきまた立ち上がろうとしているのではないだろうか。動画を再生するたびに立ち上がるきりん。そう、何度だって。

 

昨日からの雨つよい雨よわい雨 ジミー・ウェールズそろそろ寄付は集まったかい

(『私家版 しあわせな迷子』)

格好良い!と叫んで終わりたいくらいなのだけれど、もう少し書く。(本当は、書けば書くほどこの歌の良いところを言えていないような気持ちになってしまう。) 字余りというより破調。上の句に三度使われる「雨」が印象的。強くなったり弱くなったりするばかりで止む気配のない長い雨。間延びしたような時間が流れる。機械的に表示される寄付のお願い。「集まったかい」という言い方には「集まっていなくともさほど問題ではないけれどね」とでも言いたげな軽やかさがあるし、Wikipediaの共同設立者である「ジミー・ウェールズ」がこの歌では不思議と冒険小説の登場人物であるかのような趣が表れている。

 

 

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ありがとうございました。

更新予定

4月10日(水) 学生短歌会編 瀬田光さん

4月17日(水) ネット歌人編 しま・しましまさん

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