歌人リレー企画「つがの木」〜学生短歌会編〜第2回 村上航さん

こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。

歌人リレー企画「つがの木」の学生短歌会編、第2回は村上航さんをお迎えします。

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こんにちは。岡山大学短歌会の村上航です。

鹿とスヌーピーとヨーグルトとトム&ジェリーと夜の高速道路とナトリウムランプとイオンの駐車場と豚トロと将棋と麻雀と挫・人間とMy Hair is Bad中村航ハヤテのごとく!とrrkzと短歌が好きです。普段はおかたんで歌会を楽しんでいます。

 

Twitter: @WataruDeerMura(https://twitter.com/WataruDeerMura

 

 

 

自選五首

 

 

打ち上げは鳥取県ユニコーンホルモン専門焼肉店

 

(『ぬるいコンクリ』/短歌ワークショップ「31文字の私に出会う」2017記念作品集「メランジェ」)

 

 

裏声のような夕焼けに勝てないしぼくにはラッキーナンバーがない

 

(『ラッキーナンバーがない』/ネットプリント歌人のふんどし」)

 

 

劇的に林檎ジャムとか塗りたい朝だ わるものはもういなくなったよ

 

(うたの日『もう』2018年12月17日)

 

 

脱却をエスケープした 星じゃなくストロボライトだったよあれは

 

 

これだけを完璧と言う運転をしている口に運ぶポッキー

 

(「引き渡せない」/ネットプリント「vingt」)

 

 

結社や同人には参加していないため、おかたんでの活動がメインです。それ以外では、たま~にネプリを出したり参加したりしています。それと結社も短歌会も関係しておらずゆるゆるとした雰囲気がたまらないピオーネ歌会によくお邪魔しています。

 

 

 

さて、僕が紹介したいのは立命館大学短歌会の瀬田光さんです。

2019年に好きになった歌人の中ではぶっちぎりで暫定一位です。

 

 

村上航による瀬田光の5首

 

 

焼夷弾みたいに産みおとされたのにこんなにタンポポ要らないよ馬鹿

 

 

コンフェッティとして浴びれば生きていけるというしるしの派手な霧雨

 

 

人を一人不幸にするという覚悟 犬の頭を抱きしめている                  

 

(『光たるもの』/立命短歌 第六号)

 

 

この星は給水口に吸い込まれそのまま人魚になったあの子だ

 

 

秋のせみ防空壕で生きた人にすごく海ってとこを見せたい

 

(『僕は草原とつながっていたい』/立命短歌 第五号)

 

 

短歌の中で、「共感」は大切な要素の一つです。短歌では①説明→②共感→③納得の3ステップが想定されているものが多く、①まず歌の中でリアリティのある景や分かりやすい景、もしくはあるあるネタが説明され、②読者はそれを自分の中で引き寄せ、噛み砕いて共感します。③そして、「ああ理解できた」、もしくは「理解しきれないけど寄り添うことができた」と感じ納得するという構造がよく見られます。

しかし、今回紹介する瀬田さんの歌は「説得力が強すぎる」ため、①説明→②納得+共感の2ステップなのです。共感するために自分に引き寄せて考える必要がないほどに歌を詠んだ瞬間に納得させられて、あとから共感がついてくる。ちょっとわけの分からないことをいうと、納得成分を直接脳に注射される感じです。

 

 

 

焼夷弾みたいに産みおとされたのにこんなにタンポポ要らないよ馬鹿

 

初句から結句まで力強い一首。詠みようによっては受けつけなくなるほど激烈なのに初読で読者をぐっと引き込み、味わわせる上手さがあります。ある同一の具体的な景を確定させることはできないけれど、「焼夷弾みたいに産みおとされた」というフレーズからはかなりの激しさを伴う落下のイメージを想起させます。また、その速度は「のに」という順接が持つ誘導力、句またがりのない定型によるリズムの良さによって減速せず、むしろ一首の中でどんどん加速しながら結句の「馬鹿」の切実さを強める働きをしています。

ここで注目しておきたいのが、焼夷弾タンポポというモチーフの組み合わせについてです。瀬田さんの歌はモチーフの選択が秀逸で、この歌では薔薇でもなくヒマワリでもなく「タンポポ」であるのがとても丁度よい。焼夷弾インパクトの強さをインパクトの弱いタンポポでうまく緩和させつつ、ふと一瞬タンポポの持つ素朴な優しさに安心した読者を「要らないよ」で裏切っています。このようにタンポポという限定は主体の悲痛な叫びの演出として非常に効果的です。

 

 

 

2首目は、このモチーフ選択の秀逸さが景の美しさを強めています。

 

 

コンフェッティとして浴びれば生きていけるというしるしの派手な霧雨

 

コンフェッティ(結婚式などの祝い事で使用される紙吹雪)という華やかなモチーフを霧雨の比喩として用いることで、ただの霧雨ではなくもう晴れ間が広がり始めているような、光を浴びて霧雨が輝いているような美しい景を描写しています。そこには主体の「生きていける」という思いの強さも現れています。

この「コンフェッティ」や1首目の「焼夷弾」から見られるように、普段あまり使わないインパクトのある単語やモチーフの選択が瀬田さんの歌の特徴であり、魅力の一つとして挙げられます。そういう語の持つインパクトに振り回されることなく、自分のものとして使いこなせている事こそが「強すぎる説得力」の源になっているのでしょう。

 

 

 

人を一人不幸にするという覚悟 犬の頭を抱きしめている

 

誰かを「不幸にする」ことを確信している主体がいることに驚かされます。連作の内容を踏まえて考えると、恋人との別れの覚悟なのか、もしくは破綻を想定しつつも「おまえ」と生きていくことという覚悟なのか。どちらにしてもこの奇妙な確信は体言止めの強さと相まってやはり一首の説得力の強さを増すことに成功しています。犬の頭を抱きしめるという状況も柔らかい犬の毛皮の下にある頭蓋骨の生々しい質感と感触を思わせ、歌全体に凄みを持たせています。

 

 

 

この星は給水口に吸い込まれそのまま人魚になったあの子だ

 

一首全体が何かの比喩のようにも読めるけど、僕はSF的な世界観を描写した歌として読みました。「お父さんは一番輝いているあの星になってお前を見守っているよ……」とか言いますよね。そういう物語でよくあるシーンを下敷きにしているのかな。寂しさとあきらめの雰囲気を楽しむ歌。「この星」や「あの子」のように、主体が歌の中のモチーフと距離が近いのがリアリティを生んでいます。こういう風にSF的な世界観の歌なのに面白さを求めずに、淡々とした景の描写や現実的なリアリティで納得させようとしているのがすごいなと思います。SF短歌って設定の面白さに終始してしまう歌が多いんですよ。「赤鬼が百均に行って電池を買いました」みたいな、SFと現実を混ぜ合わせた時のシュールさによる面白さを狙っている歌が多い。でもそうじゃなくて、僕らが風景を切り取って短歌を作るのと同じように対象を見つめて読者に景を提示している。この空想の中で発揮される観察力も確実に「強すぎる説得力」につながっています。

 

 

 

秋のせみ防空壕で生きた人にすごく海ってとこを見せたい

 

「秋のせみ」は夏を終えてもずっと死なないせみなのか。それとももうすぐに死んでしまうのか。初句から読者を不安な気持ちにさせておいて場面は急に転換します。「すごく海ってとこを見せたい」という語彙の消失したような語り口調からは主体が心の底からそう思っているような印象を受けます。この読者を不安にさせておいて放置し、切実な願望に着地させるという構造は読者をうまく振り回しつつ、でも最後には願望に引き寄せられて歌に寄り添うことができるようになっており、頭で理解するより先に読者の奥底に納得と共感を響かせます。

 

 

この読者を麻痺させるほどの圧倒的な説得力でこれからももっともっと振り回されたいです。

 

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ありがとうございました。

更新予定

4月3日(水) ネット歌人編 ナタカさん

4月10日(水) 学生短歌会編 瀬田光さん

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