歌人リレー企画「つがの木」〜学生短歌会編〜第6回 川上まなみさん
こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。
歌人リレー企画「つがの木」の学生短歌会編、第6回は川上まなみさんをお迎えします。
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こんにちは、川上まなみです。
(自己紹介、自選5首は一番最後に載せさせてください。)
彼は、私と同じ塔短歌会とuraにも所属しています。
ほとんど同じ所属(おかたんについては、彼はまだ所属していますが、私は卒業しています。でも活動を一緒にしていました)の彼を取り上げるのは、やや手前味噌感がありますが、でも彼の歌、本当にいいんです。
《川上まなみが選ぶ、長谷川麟の歌5首》
アルティメット大好き級の恋だからグラップラー刃牙全巻売った
踊り場に風が生まれる しまうまのかばんの人とよくすれ違う
オーバーフェンス/『岡大短歌6』
猫ひろう、ようにあたたかい朝だった 慣れた手つきで巻くたまごやき
しかくい光/『メランジェ』
三次会らしい いつも全部おんなじ お盆のウォーターボーイズみたいに
しんあいなるけいちゃん/ura vol.1
かぎりなくうすい陽炎 ひとりにはなれないだろう生きてるうちは
茄子/ura vol.3
美少女にずっとならない妹をそれでも駅まで送ったりする
/第4回大学短歌バトル2018 角川文化振興財団主催 題詠「少」
5首って書いておきながら、どうしても選べなくて6首になってしまいました、、、
1首目、主体の勢いに、笑ってしまう歌。
『グラップラー刃牙』、漫画だそうで私は読んだことないですが、全42巻もあるそうです。それを一気に(きっとお金にしたかったからとか、収納スペースがないからとか、そういう理由ではなく、単なる恋したその衝動で)売ってしまう主体、なんということ!
面白いのは、切れのない歌で一気に読んでしまう(あるいは主体が言ったことを聞いている感覚)で、読者が置いてきぼりになってしまうこと。テンションのギャップに、ちょっと主体が心配になってきます。
でも、読者を置いてきぼりにしても、関係ない、恋に恋する、突き進むのみ、そんな一首。
3首目は、『メランジェ』という冊子から。
この冊子は、歌人・大森静佳さんが岡山市で開催しているワークショップの参加者の方の作品が載っています。
1首目と比べて、全然テンションが違いますが、この上の句の比喩がなんとも温かく心地いい。
猫のあたたかさだけでなく、猫を拾ってしまう主体の性格がすべて朝にかかってきて、ゆったりとした時間の流れる気持ちのいい朝を想像させます。下の句とのバランスも良い。
4首目はuraから。
お盆にウォーターボーイズが毎年再放送されるように、三次会へ行くメンバー、三次会のお店が決まっている。当たり前のように流れていくその場の空気が、3句切れ(しかもすべて一字空け)によって、表わされています。毎回同じだから、主体もただみんなの流れに合わせるんだろうな。ウォーターボーイズの水のイメージや、男の子の青春のイメージも、歌の内容に重なってきます。
6首目の歌は、角川の短歌バトルに出されて、物議(?)を呼んだ歌。
美少女にずっとならない妹をそれでも駅まで送ったりする
妹が成長するにつれて美少女になるなんて、そんな兄の勘違いもいいところです。
でもこの兄(主体)は、つい最近まで妹は美少女になると思っていた…そんな勘違いの気持ち悪さを書けていることがこの歌を良さだと思います。
そんなさ、なるわけないじゃん、急に綺麗にとかさ。
でも、妹に夢を抱いていた兄。この主体は、ある程度大きくなった妹が美少女にならないことに気づいて、ある種諦めを感じています。(この諦めも、自分の勘違いから来ていて、結局妹のせいじゃないのにね)
でも、自分の妹は、可愛い。諦めながらも、仕方なく、(いや、むしろ仕方ないという顔をしながら、頼まれることを嬉しく思っているのかもしれない)駅に送ってやる。そんな、ツンデレなような気持ちが「それでも」に出ていると思うんです。わざわざ、そのために車を出してやる、主体、なんだか可愛いような気がしてきませんか。私はばかだなぁって笑ってあげたくなる。
「それでも」「送ったり」「する」からは、兄のふてぶてしさというか、ちょっとショックな、でもしょうがなくなような、それでも妹は可愛いと思っているような、複雑な心境を読むことができる気がします。
彼の歌の魅力に、最後に、主体のキャラクター性を挙げておきます。
彼の歌に出てくる主体は、どんな連作を通しても、どんなテンションの違い(現に、私の挙げた歌の1首目と3首目には大きなテンションの違いがある)を持っていても、統一した主体を見ることができてなりません。それは、大人のような、でも子どもの一面を隠しきれていない、大人になりきれていないような主体で、私はそのキャラクターに惹かれる。
短歌を作る上で、私はどうしてももっと上の表現、もっと美しい言葉、良い短歌を書こうとしてしまう。すると、どうしても背伸びをして、主体のかっこつけた、大人びた一面を書くことが多くなる。
でもきっと彼の歌は、今できる精いっぱいの、今の等身大が描かれ、その誠実さが主体のキャラクターになって表れてくるのだと思う。
彼の主体はかっこ悪い。現に、猫を拾ってくるようなどうしようも無さ(やさしさとも言い換えはできるのだけれど)をイメージさせるし、漫画は勢いだけで売ってしまうし、妹は成長すれば美少女になると思っている。そのかっこ悪さに、呆れつつ、でも手を差し伸べてしまうような、そんな温かい気持ちにさせてくれる、なんて、ちょっと褒めすぎましたでしょうか。
ぜひ、今後の長谷川麟の作品にも、ご注目ください。
文責・川上まなみ
塔短歌会、ura所属。元岡山大学短歌会。
Twitter @mayoi_122
4号、もうすぐ(全員の原稿がそろい次第、笑)出ます。長谷川麟さんの歌も読めます。
あと、吉岡太朗さん・染野太朗さんの短歌ユニット「太朗」のゲストに呼んでいただいて、『太朗二號』に連作を寄せています。
体験版から少しだけ読めますので、良かったら読んでください。もしいいなと思ったら買ってください。(笑)
自選五首
あなたにはなれないことの静けさにうすむらさきの切手を貼りぬ
傘を重たく/ネットプリントelse
蒼井優一本目は死に二本目は生き続け死んだほうを見返す
死んだほう/ネットプリントelse
噴水が高さを変えて動いててさみしさが君に会いたがってる
会いたがる/ura vol.1
手を舟の形のように百日紅の落ちているのを静寂しじまへはこぶ
diary in the sea city/ura vol.3
あなたの選んだ映画だけ見て春の日の冷たい畳の上に寝転ぶ
間取り短歌「どこかで」/『太朗弐號』
ありがとうございました。
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ありがとうございました。
更新予定
5月29日(水) ネット歌人編 笹川諒さん
6月5日(水) 学生短歌会編 長谷川麟さん
変更の可能性がありますので、最新情報はTwitter@sanbashi_tankaをご確認ください。
お知らせ
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『現代鳥獣戯画』一首評
ご恵投いただきました『現代鳥獣戯画』の一首評です。
終わらない夢にしようよカナリアと見たビー玉はこわれない、はず
岡田美幸『現代鳥獣戯画』から連作「いきもの」の一首を引いた。
語り手の「終わらない夢にしようよ」という語りかけがあり、そこで切れて「カナリアと見たビー玉はこわれない、はず」というつぶやきのような発話に繋がっているという構造である。その前後の間で「終わらない」ことと「こわれない」ことは重ねられていて、しかしその完全さには疑問が呈される。
切れの前では「終わらない」はまず「夢」を修飾している。終わらせたくないのだから、この夢はポジティヴなニュアンスを帯びている。終わらない夢、それは永遠に続く「よきもの」であるのだろう。語り手は聞き手をそこへいざなう。ここで「しようよ」が興味深い。終わらない夢が存在しそこへ入っていくのではなく、まず夢があり、それを主体的に終わらないものにしていこう、と語り手は誘う。つまり、今存在する夢はいつか終わるものである。それを無欠にしようというのが語り手の呼びかけだ。
切れの後ろに焦点を移そう。ここで語り手は聞き手の存在を放棄し、ひとり呟く。かつてカナリアと見たビー玉はこわれない、と言い聞かせながら、そこに疑問が浮かんでしまい信じきれない様子が伺える。今はまだ壊れていないビー玉が手元にあり、でもその永遠性は信じきれない。そしてそのビー玉はカナリアと一緒に見たものであるという。カナリアの持つイメージとしては歌声の美しさや、炭鉱に籠を吊るすとガスが発生したときに最初に死ぬので分かるという話が挙げられるが、ここでは後者を利用して読みを進める。というのは、「終わらない」と「こわれない」が重ねられることによって歌全体にかえって滅びの雰囲気がただよっているからだ。そのイメージはカナリアにも重ねられ、滅びの象徴であるカナリアと一緒に見たビー玉はそれ自体も終わりの空気を纏ってしまう。「こわれない、はず」という発話は、こわれることを薄々察しているからこそのすがるような祈りではないだろうか。
それを踏まえて前半の検討に戻ると、終わらない夢もいつか終わる、つまりそんなものは存在しないことを語り手は予感しているのではないか。それでも聞き手をそこへ誘おうとする、そのあり方に薄ら寒さを覚える。
評:鈴木えて
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歌人リレー企画「つがの木」〜ネット歌人編〜第10回 有村桔梗さん
こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。
歌人リレー企画「つがの木」ネット歌人編です。なんと10回目を迎えたこの連載、今回は有村桔梗さんにご寄稿いただきました。
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自己紹介
こんにちは。未来短歌会フムフムランド飛地(紀野恵欄)所属の有村桔梗です。
他、うたの日、うたらば、うたつかいなどにいます。
昨年5月に発行した私家版歌集『夢のあとに』を頒布中。
自選5首
わたくしの夢のなかまでりうりうと真夜中色の雨は降りをり
あかねさすあぢさゐの花ひと房をきみは脳なづきを抱くやうにして
※商品に原料としたえび・かにの恋の記憶を含んでゐます
ひそやかに真夜開きたる辞典から瀛といふ字が逃げだしてゐる
かかとからストッキングが伝線しすこしわたしがこぼれてしまふ
4首目まで私家版歌集「夢のあとに」より。5首目はインターネット歌会サイト「うたの日」より。
わたしがご紹介するのは短歌人会所属の笹川諒さんです。
有村桔梗による笹川諒の5首選
言語忌があるなら冬だ 過たず詩が融けるのを見ていたかった / MITASASA第2号「青いコップ」
歯を磨くたびにあなたを発つ夜汽車その一両を思うのでした / ネプリ・トライアングル(シーズン3)第一回「手に花を持てば喝采」
いい感じに仲良くしたいよれよれのトートバッグに鮫を飼うひと / 詩客SHIKAKU 5月04日号「涅槃雪」
一冊の詩集のような映画があって話すとき僕はマッチ箱が見えている / MITASASA第3号「半分はせかいの涙」
あなたよりあなたに近くいたいとき手に取ってみる石のいくつか / ブログ「Ryo Sasagawa's Blog」「自選十首」
* * * * *
・言語忌があるなら冬だ 過たず詩が融けるのを見ていたかった / MITASASA第2号「青いコップ」
「あるなら」という仮定でありながら、「冬だ」と断定される「言語忌」。そもそも「言語忌」とは何だろうか。
「**忌」と何等かの名詞とともにいわれる時、それは誰かの命日を指すように思う。しかしこの場合は、言語の死そのものを弔うための忌日のように思われるのだ。
燃える、燃やすというのならばブラッドベリを想起するが、ここでは「融ける」。おそらくは紙にも記されることなかった言語なのだろう。どこか雪のような存在を思う。
「過たず詩が融ける」…融けるのを前提として紡がれる詩。
「過たず」とあるので、作中主体はそのはかなさを愛しているのかもしれない。そして「見ていたかった」はそれを弔うための行為であるのだ、と思う。
・歯を磨くたびにあなたを発つ夜汽車その一両を思うのでした / ネプリ・トライアングル(シーズン3)第一回「手に花を持てば喝采」
歯と歯ブラシとの摩擦音は汽車の走る音を想起させる。「夜汽車」であるから朝ではなく夜の就寝前の歯磨きだろうか。
「あなたを発つ」なので歯を磨いているのは「あなた」であり、作中主体はその比較的近くにいるのだろう。きっと素敵な歯並びの「あなた」。
暗闇のなかをひた走る夜汽車が、ほのひかる姿が浮かぶ。その夜汽車の向かう場所はどこなのだろう。
そして「はをみがく/たびにあなたを」と、句跨る韻律が「旅」という言葉を連れて来る。
・いい感じに仲良くしたいよれよれのトートバッグに鮫を飼うひと / 詩客SHIKAKU 5月04日号「涅槃雪」
「鮫を飼うひと」というところで魅力的であるのに、「よれよれのトートバッグ」、である。
おそらくトートバッグが大きいのではなく、鮫が小さいのだろう。かわいい。そうは言っても鮫は鮫だから、もしかしたら咬まれるかも、という危険があったりするのかもしれない。
最初からよれよれのバッグに鮫を入れることにしたのか、鮫を飼いつづけることによってよれよれになったのかはわからない。しかし「よれよれ」は、確実に「トートバッグ」にも「鮫」にも愛着を抱く「飼うひと」の像を結ばせる。
そして初句の「いい感じに」により、実在するかどうかわからない「そのひと」と仲良くしたいという作中主体のキャラクタを立ち上げることに成功しているように思う。
・一冊の詩集のような映画があって話すとき僕はマッチ箱が見えている / MITASASA第3号「半分はせかいの涙」
一般的な短歌よりも一句多い。破調というよりは、いわゆる旋頭歌「5・7・7・5・7・7」と同じ形式で詠まれた歌である。
「一冊の詩集のような映画」、実在する映画があるのかもしれないし、ないのかもしれない。「一冊の詩集のような」という比喩からは、アクション映画のように見どころがわかりやすい形で提示されている映画というよりは、それぞれの抽象的なモチーフがどこか奥深くでつながっているような思索に富んだ映画を思い浮かべる。
その映画について「僕」が誰かにどんな映画かを説明するようなシチュエーションなのだろうか、と考えているところに、いきなり登場する「マッチ箱」。
しかも僕が見ているというのではなく、「見えている」という。このマッチ箱は、その映画の内側にあるものなのか、外側にあるものなのかはわからない。「僕」にだけ見えているマッチ箱なのかもしれないし、その話をしているときに目の前に置かれている(物質としてその世界に存在する)マッチ箱なのかもしれない。
「マッチ箱」の中にはマッチが入っているだろう。マッチは火を想起させ、このマッチ箱の存在が読み手を新たな位相へと連れてゆくように思われる。
・あなたよりあなたに近くいたいとき手に取ってみる石のいくつか / ブログ「Ryo Sasagawa's Blog」「自選十首」
「あなた」にいちばん近いのは「あなた」自身である。けれども誰よりも、あなた自身よりも「近くいたい」と思っている作中主体。
そんな時に「手に取ってみる石」の意味とは何だろうか。「あなた」との距離を詰めるための手段として必要なのかもしれない「石」。吟味され選ばれる「石」。特別な石なのかと思いきや「いくつか」とあるので、何等かの基準はあるものの普通の「石」なのだろう。近くにいたいのではなく「近くいたい」ので、寄り添いたいというよりは「あなた」という存在との同一感を願っているような印象を受ける。どこか天秤を釣り合わせるための分銅を思う。
* * * * *
以上、五首について書いてみました。あまり推せてなくて申し訳ありません…。
詩や川柳にも手を広げられている笹川さんですが、繊細で緻密な言葉選びと、どこか幻想的でありながらリアルな手触りを感じさせるところが魅力だと思います。
三田三郎さんとのネットプリント「MITASASA」も出されており、今後の御活躍が楽しみな方です。
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ありがとうございました。
更新予定
5月22日(水) 学生短歌会編 川上まなみさん
5月29日(水) ネット歌人編 笹川諒さん
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歌人リレー企画「つがの木」〜学生短歌会編〜第5回 加賀塔子さん
こんにちは、短歌プラットフォーム「さんばし」です。
歌人リレー企画「つがの木」の学生短歌会編、第5回は加賀塔子さんをお迎えします。
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こんにちは、早稲田短歌会および結社かりんの会に所属しています、加賀塔子です。
1998年の春生まれ。わせたんは4年目、結社には参加して2年目です。
Twitter:@qw_fk
過去の機関誌早稲田短歌はこちらで読めます。
http://wasedatanka.web.fc2.com/wasedatankaweb/index.html
自選5首
英語には遺品といふ語なきことを爆心地より戻り来て知る
大枯野駆け東(ひんがし)の岬まで幾人が来むわれの弔ひ
(「枯れ野まで」早稲田短歌47号)
地図上の海を掬ひて塗るやうな心地をこのむコリアンコスメ
(かりん2018年11月号)
口から枝が出さうだ肺に生えた樹の いつでも私は泣きたいだけで
(かりん2018年12月号)
きつとわたしこの人を好きになるいつか 伸ばされた手の産毛がひかる
(かりん2019年1月号)
私が今回紹介するのは結社塔、ura、岡山大学短歌会に所属している川上まなみさんです。
加賀塔子による川上まなみの5首
過去になる人が君にも私にもいてしんしんと降りつもる雪
(「冬日向」岡大短歌3)
掬うことできぬ手として濡れてきたナイキのスニーカーを揃える
(「ぬばたまの」岡大短歌4)
やりたいと思ったことをやる日々の、春を理由に群れている草
(「春を理由に」岡大短歌5)
火のなかを来たのでしょうか、そうですか 戦争はいつか美しくなる
(「2024」同上)
(「止まない拍手」岡大短歌6)
川上さんの短歌は主体の感情+情景の形のものが多く、岡大短歌4の企画で往復書簡をした大森静佳さんの影響が見られます。この企画で大森さんが「景を甘美にうたいあげるんじゃなくて、下句に冴えた認識がある。」とおっしゃっていましたが、まさしくその通りです。
過去になる人が君にも私にもいてしんしんと降りつもる雪
(「冬日向」岡大短歌3)
過去になる人、というのは昔の恋人のことでしょう。連作の他の歌からこの「君」と主体は恋愛関係にあることが分かります。恋人の昔の恋人には、嫉妬を感じる人も多いと聞きますが、主体はその事実を冷静に歌っています。過去になる、とあるので完全に過去になるのにはまだすこし時間がかかるのでしょうか。
下句では静かに降る雪のイメージが提示されますが、どこに降っているのかはわかりません。ふたりが道に積もりゆく雪を見ているのかもしれないし、ふたりの方に降り積もっているのかもしれません。どちらかは分かりませんが、清らかに降る雪のイメージが、これから重ねてゆくふたりの記憶や思いと重なり、美しい恋のはじめの歌となっています。
掬うことできぬ手として濡れてきたナイキのスニーカーを揃える
(「ぬばたまの」岡大短歌4)
恋愛を歌った一連の作品です。水かきのないわれわれの手は水を掬うことができません。しかしこの主体は掬おうと手を水に浸してきたのでしょう。なにを掬おうとしたのでしょうか。また同音の救う、にも通じるものがあります。濡れてきた、とあるので何度も手を伸ばしてきたのでしょう。その手が実態をもつ、確かに存在するナイキのスニーカーを揃えることで、空想ではない実感を持って現れます。この手はなにも出来ず、スニーカーを揃えることしかできない、という諦念もどこか感じられます。
やりたいと思ったことをやる日々の、春を理由に群れている草
(「春を理由に」岡大短歌5)
やりたいと思ったことをやる、それは当たり前のように見えてむずかしいことです。私たちは毎日を生きているなかで、やりたいと思ったことをやらずに、やれないでいたり、望んでもいないことを仕方なくこなしていたりします。それゆえこのやりたいと思ったことを選び取り、行動する 日々、とあるのでこれは繰り返し行われているのでしょう。
春は生命が芽吹く季節です。多くの草木が茂りますが、主体はその草草が群れている理由は春なのだと言います。どこか気だるげで気負っていない情景により、上句の日常が主体にとっては大事ではない印象になります。肩の力を抜いてやりたいことをやる、とても羨ましい姿勢の歌です。
火のなかを来たのでしょうか、そうですか 戦争はいつか美しくなる
(「2024」同上)
「2024」は戦争が起こった日本を舞台にした近未来の連作です。この連作は川上さんのターニングポイントとなる作品です。これまでの主体の日常をテーマとした連作と異なり、世界観を作り上げ物語を構成する連作となっています。川上さんはこの作品から、それまでの日々のスケッチのようなタイプの作品に加え、意識的に物語を作り上げる連作にも手を伸ばしています。川上さんの新境地、と言って差し支えないでしょう。
掲げた一首に戻ります。いきなり会話のような文体 火の中を来る、という会話は普通にはなされないものですが、戦争のある世界では違います。爆撃に遭遇した人を主体は見たのでしょう。煤がついた服や焼け爛れた肌を。しかし歌の文体はまるで童話のようで穏やかな詩的なものです。
「戦争はいつかうつくしくなる」、これは現代に生きるわれわれへの警告です。戦争が終わり数十年の時を経てば、戦争の惨さを忘れ美化してしまう人も出てきます。やわらかな文体で批判をする、巧みな一首です。
(「止まない拍手」岡大短歌6)
こちらの連作も物語を作り上げるタイプのものです。オーケストラの演奏会の一連で、主体が観客であったり奏者であったりとオムニバス形式の連作です。
調弦なのでこれから演奏が始まるのでしょう。何度か低く鳴らされる音色が、にんげんが物語っているように聴こえるという、不思議な比喩です。岡大短歌6の荻原裕幸評で「まるでヴィオラ自身が長い旅をしてきたようで楽しい。」と書かれているように、読者の想像が膨らむ作品です。
以上、川上まなみさんの5首を紹介しました。川上さんの歌はやさしげな物言いのなかに、鋭く何かを指摘する姿勢があると思われます。川上さんのこれからのご活躍を、一読者として祈念いたします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ありがとうございました。
更新予定
5月15日(水) ネット歌人編 有村桔梗さん
5月22日(水) 学生短歌会編 川上まなみさん
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大規模アンケート「みんなの短歌ライフ10の質問」ご協力のお願い
2019年歌人白書を作りましょう!みなさんのご協力で、短歌界全体に資するデータが集まります!
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〈はじめましての方へ〉(さんばしの活動をご存知の方は次の段落まで飛ばしてください)
さんばしは2018年10月に東京大学の学生短歌会、Q短歌会所属の鈴木えてが立ち上げた短歌メディアです。ブログとTwitterで活動しており、同人活動の紹介や若手歌人たちによるリレー企画などを通じて短歌のインディーズ活動を応援しています。詳しくはブログhttps://sanbashi.hatenablog.com
をご参照ください。
さんばしの新しい同人誌「さんばしvol.1」は「新しい短歌シーンの可能性」をメインテーマに、現在の短歌で何が起きているのか、その構造はどうなっているのかを分析し、それを今後の短歌の発展の材料にしたいと考えています。それにあたり、短歌シーンの構造が見やすい形の価値あるデータを収集したいと考えています。データは「さんばしvol.1」で公開するとともに、そのデータをもとにひざみろさんと石井大成さんが対談をします。さらに、データを利用したい方には無償でお渡しいたします(個人を特定できる情報は収集しませんのでご安心ください)。
アンケートは「みんなの短歌ライフ10の質問」と題しました。年齢や歌歴にとらわれずにアンケートを行います。匿名の調査で、個人を特定できる情報をうかがうことはありません。項目は10問ですが、必須項目は選択式の7問だけです。具体的にはこちらの画像をご覧ください。
さらに、今回はみなさんに答えることも楽しんでいただきたいと思っています。そこでみなさんには回答画面をスクリーンショットしていただき、「#短歌ライフ10の質問」というハッシュタグをつけてSNSに投稿していただければと思います。都合の悪い項目はスタンプなどで隠してください。
今回は目標として、回答人数250人を目指します。みなさんの協力が価値あるデータを作り、今後の短歌界に資することになります。どうぞご協力と拡散をよろしくお願いいたします。
アンケートはこちらのリンクをクリックしてください。
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短歌プラットフォーム「さんばし」代表 鈴木えて
[i]短歌雑誌や結社を中心とした伝統的な短歌の場に収まらない活動を指します。同人、SNS、ネットプリントなどが挙げられますがそれに限定しません。
短歌プラットフォーム「さんばし」同人誌創刊のお知らせ
短歌プラットフォーム「さんばし」は、短歌というジャンルをバッチバチに強くする同人誌を創刊します。豪華ゲストを迎え、新しい短歌シーンを鋭く分析する全く新しい短歌同人誌です。
〈はじめましての方へ〉(さんばしの活動をご存知の方は次の段落まで飛ばしてください)
さんばしは2018年10月に東京大学の学生短歌会、Q短歌会所属の鈴木えてが立ち上げた短歌メディアです。ブログとTwitterで活動しており、同人活動の紹介や若手歌人たちによるリレー企画などを通じて短歌のインディーズ活動 [i]を応援しています。詳しくはブログhttps://sanbashi.hatenablog.comをご参照ください。
同人誌「さんばしvol.1」を2019年11月24日の文学フリマ東京において発売します。
1:内容
○現在の短歌シーンを分析する調査
○「新しい短歌シーンの可能性」をテーマとした評論や対談
○豪華メンバーによる連作
歌人リレー企画「つがの木」 [ii]で、「今一番推したい歌人」として選ばれているゲストをお迎えします!
有村桔梗:私家版歌集『夢のあとに après un rêve』販売。
淡島うる:立命館大学短歌会所属。
石井大成:九大短歌会とみなと所属、「ひとまる」同人の心優しい歌人。知らない方が自分の歌を見て機関誌を申し込んでくれた。
宇野なずき:『最初からやり直してください』という最高の歌集を販売。
大庭有旗:短歌のポエトリーリーディングソング『世界』発表。短歌×音楽で短歌シーンに新たな風を吹き込もうと目論むオルタナティブ歌人。
加賀塔子:「かりん」、早稲田短歌会に所属。
川上まなみ:「塔」「ura」所属。元岡山大学短歌会。
菊竹胡乃美:九大短歌会所属。手書き歌集を販売したり、ブログで短歌を紹介したり。最近はツイキャス配信など。
御殿山みなみ(ひざみろ):短歌連作サークル誌『あみもの』編集発行人。
しま・しましま:「うたの日」出身、ネットプリント「とらたぬきうどんでおなかをふくらます唯一の方法」発行、私家版歌集『しあわせな迷子』販売。
瀬田光:立命館大学短歌会所属。
ナタカ:「あみもの」や「うたつかい」に参加。私家版歌集『ドラマ』販売。
なべとびすこ:短歌のwebマガジン「TANKANESS」発起人。短歌のカードゲーム制作やワークショップの開催。
nu_ko:Twitter、ネット歌会を中心に活動。原平和名義のこともある。
のつちえこ:「かりん」所属、「福岡歌会(仮)」、「ajiro歌会」に参加、「Discord歌会」を主催。
村上航:岡山大学短歌会所属。歌会ピオーネにもよく参加。
(敬称略)(ゲストは予定)
以上3つの特集をお届けする予定です。
2:テーマ 現在の短歌の場についての分析が必要です
現在インターネットを中心に、既存の短歌シーン、すなわち短歌雑誌や結社などから離れた領域に短歌は大きく拡大しています。具体的には同人、ネットプリント、ネット歌会、SNSなどが挙げられますが、それに限りません。しかし、新しい活動の場そのものについての分析は今まであまり行われてきませんでした。ここで現状分析をすることは、今後の短歌界にとって必要なことだと考えています。
3:なぜ分析が必要なのか?〜短歌市場の統合に向けて〜
さんばしは短歌市場の拡大を最重要課題に掲げています[ii]。なぜなら、持続可能な市場、すなわち「儲かる市場」が短歌界の存続と拡大の鍵だからです。現状から外の領域への拡大と並行して、あるいはそれより優先して、短歌市場の統合が必要であるとさんばしは考えます。先述のように現在短歌シーンは歌壇とそれ以外で分裂し、また「それ以外」に当たる新しい短歌シーンの中でも交流が乏しい部分が存在しているように思われます。それを一つにまとめることができたら、つまり、たとえば同じくTwitterで活動しているのにあまり交流がない短歌の場の構成員が、互いに関心を持てば、それぞれの市場は少し広がることになります。このプロセスの積み重ねは、今後の短歌市場が持続可能であるために重要なことです。そのために、まずは現在の短歌界全体の構成を分析し、統合に向けた戦略を練る基礎とします。
4:さんばしの野望〜歌人を国民的スーパースターにします〜
今回は現状さんばしが把握しメインに扱っている「それ以外」のシーン、言い換えるなら「インディーズ活動」に絞った特集を行います。現在の状況がどうなっているのかという判断材料を幅広い層に提供し、さんばしの活動はもちろんのこと、それぞれが新しいアイデアでそれに対応していける基礎を築きます。しかし、さんばしの野望はその程度ではありません。先述の短歌市場の統合はもちろん、短歌が最先端の流行になり、歌人が国民的スーパースターになる世界を作ります。そのためにこの同人は小さな一歩ですが、確実に前進していくための輝かしいスタートにしたいと思っています。
どうぞ応援をよろしくお願いいたします。
短歌プラットフォーム「さんばし」代表 鈴木えて
[i]短歌雑誌や結社を中心とした伝統的な短歌の場に収まらない活動を指します。同人、SNS、ネットプリントなどが挙げられますがそれに限定しません。